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秋の味スダチのお手入れ方法

スダチの学名は Citrus sudachi

   カボスは Citrus sphaerocarpa

この2つ混同している人も多いそうです

スダチが大きくなったらカボスになる

と勘違いしている人もいるとか??

学術的にも違う品種なんですが

大きさが全く違います

みかんくらいの大きさがカボス

直径3センチほどの物がスダチ

当然、小さい方が可愛らしく見えます

お鍋の薬味、魚の付け合わせなど

ちょこんとお皿に乗る姿は絵になります

今日は鳥つくねの串焼きに

お供してもらいました

串が焦げましたが・・・

このスダチ

血糖値を下げる効果があるようで

ラットの実験では

1年間スダチを与えた

糖尿病ラットの症状が改善したようです

そんなスダチ

苗を買ってくると

家庭で簡単に育てられます

接ぎ木をしてあるので

植えてすぐに実も着けます

2月~3月の間に

なるべく全体に日が当たるよう選定し

徒長している枝も取る

施肥は

3月上旬、6月上旬

9月中旬、11月上旬に

それぞれ与え

(ホームセンターの柑橘の肥料で良いでしょう)

後はアゲハチョウに注意ですが

そのうちアゲハチョウの天敵が

沢山やって来るので

心配しなくても大丈夫です

植えるのには

12月~3月が適しているので

これから準備すると丁度良いでしょう

スベリヒユのおひたし

園芸店にポーチュラカという

お花が売っています

別名ハナスベリヒユ

その近縁種になるのが

このスベリヒユ

日本に自生している植物です

そのため

お庭や畑にもよく生えてきます

ノラ・ガーデンでは

一年目によく生えてきました

それから3年ほど

姿を見なかったのですが

最近はすっかり常連です

実は自然栽培などでは

土のステージ

と言う言葉を使うのですが

要するに栄養豊富で

植物が生育しやすい

土の指標です

数字が上がるほど

良い状態となるのですが

スベリヒユは

1番上のステージ

どんな野菜でも

育つ土に生えてくる草です

その為か

野菜と同じように

美味しく食べられます

もうじき花が咲きそうでしたが

今日の晩御飯に

摘んで帰りました

お湯でさっと湯がいて

お醤油で和えただけですが

くせも無く美味しい植物です

もしお庭やプランターで見かけたら

引きむしって捨ててしまわず

ぜひ食べてあげて下さい

春を告げるもの

春の訪を告げる食べ物もいろいろあるが地方色が強いのが特徴だろう

テレビなどで毎年見せられるのはシロウオのおどり食い

熊本ではそろそろ漁が始まっている

ちなみにこの魚

産卵しに来たところを捕獲しているので

あの大きさで成魚となります

 

ここ関西では「いかなごのくぎ煮」が春になると出回る

こちらはイカナゴの幼魚を調理する

佃煮の一種だがボクは大阪に来るまでは存在を知らなかった

結構美味しい

気さくな関西人たくさん作って

人におすそ分けするのが毎年の恒例行事という人も多い

 

今年の初午(はつうま)2月最初の午の日は

明日2月2日だ

この日は通常稲荷社のお祭りが執り行われ

豊作、商売繁盛、家内安全などを祈願する

 

元々は農作業が始まる前に今年の豊作を祈って

お祭りが行われたのが始まりのようだ

現代では地域によって色々な方法で祝われている

 

まだまだ寒い日が続くが

だんだんと春の訪れが感じられるのが2月

そろそろ植物たちも活動開始だから

準備を始めなければ

植物は人間とのスキンシップが嫌い

植物がいとおしくて触ってしまう人

実はあなたは植物に嫌がられている

どんなに優しく撫でても!

 

剪定や植え替えなどの大手術が

植物に影響を与えるのは

当然なのだが

 

オーストラリアノ学者によると

風で植物同士がふれたり

虫が触れても

30分以内に10%のゲノムが変化してしまうそうだ

 

この変化にエネルギーを使うため成長が

遅れてしまうらしい

 

密集、虫、気候これらが

植物に大きな影響を与えるのだが

ゲノムの変化はこれらに対応するためらしい

 

具体的にはミトコンドリアが

操作しているようだ

 

じっさい

触れられて育つと

太く低い形になり

病気にも強くなるらしい

ヨーロッパからアジアへ

ポルトガルから出発

ヨーロッパも南の国々では

あきらかに(イギリスやオーストリア等とは)物価が違い

ボクのお財布にも少し余裕が出てきた

 

そこでもう少し冒険を続けることにした

ポルトガルから一度アテネに戻り

そこから列車にのって

地中海を渡りトルコを目指した

 

ポルトガル出発の前日

牡蠣の缶詰めを食べていたぼくは

その後、体調不良に見舞われる

牡蠣が原因とは思えないが

兎に角何もすることが出来ず

一日駅のベンチで寝る事になった

日本から持参した薬が効いたのか

一日で何とか持ち直しフェリーで

一路アテネに向かう

 

フェリーの乗車券は何と

甲板にしか滞在できないチケットがあった!

前日の体調不良の事もあり

追加料金を払って船内のソファーには座れる

チケットにした

 

船内にはマティスの「ダンス」があった

勿論ポスターだがとても印象に残っている

 

当時はマティスさえ知らないボクだったが

本物とはこういう無知な人間にでさえ

多くの物語を語りかけてくる

 

アテネについて

ユースホステルで一泊した

駅にはいってみたものの

何か言葉にできない恐怖を感じて

分かりやすく言えば

ヨーロッパとはまた違う世界に渡ることに

怖気づいてしまったのだろう

 

 

翌朝起きて持ち歩いているパンで朝食を済まそうと

カバンをあけると!!

ネズミがボクのパンをシェアしていた

パンの耳全部と

柔らかいところも半分残してくれてはいたが

食べる気にはならず(当たり前)・・・

そしてボクは新たな世界へ旅立った

 

 

 

トルコへ
駅で変な東洋人に出会った
アーミーキャップをかぶり
痩せて目がギョロギョロして
やたらひげが濃い
ちょっと警戒しつつ話してみると
日本人だった(沖縄の人だった)
目的地は同じだったので同行することになったが
この道連れ、この先30年以上続くとは
当時まだ全くもって想像もしていなかった
(これはまた別のお話)
イスタンブールへは列車で到着
ギリシアとトルコ
なるほど未だ確執のある国同士
というのも納得の距離だった
世界三大料理と呼ばれるだけあって
とても美味しいご飯にありついた
さてカッパドキアに行こう
バスで2日の工程だ
ターミナルには行ってビックリ
野球のスタジアムのような広い場所に
人、人、人、そして
あらゆる方面行きのバス
とても目的のバスにたどり着けそうもない
と思った瞬間
子供がやって来て案内してくれた
バス会社に雇われているようだ
バスに乗ること丸二日
テレビで見た
コロンをバスの運転手が乗客に配るシーンが
現実のものとなって目の前で展開された
乾燥しているのでそんなに臭わないのだが
(ボクはそう信じている)
カッパドキアの近くの街でバスを降り
当時はそこからヒッチハイクだ
この工程は何似に例えたら良いだろうか?
スターウォーズ・エピソード4で
C3POとR2-D2が砂漠の星を
とぼとぼ歩いていた感じに似ている
とても地球上の光景とは思えない様な景色
遠く地平線の向こうまで続く道から
蜃気楼のように現れた影
(ロバとおばあさんだったが)
少しづつ近づいて来た
結局乗せてもらっは
トウモロコシを積んだトラックで
スピードメータがカメとウサギだった
(冗談ではなく本当に数字で無く絵が描いてあった)
そうだなやっぱり
猿の惑星みたいだな
ちょっと似ているけど
なんだか違う星に来たような
違和感
カッパドキアには今でも人が住んでいる所もあり
ぽつぽつと明かりがともっている洞窟もあった
不思議な異世界だった
旅のエンディング
再びアテネに帰った僕たち
ボクはローマ観光をしてから帰国する
彼「ジュンジ」はアフリカへ向かうらしい
その風貌にその帽子
アフリカに行ったらきっと
レッドアーミー(日本赤軍とういテロリスト集団)
に間違われるから危険だと告げると
彼も納得して帽子をボクに預けた
この出来事がこれから30年以上の
道連れに関係するのだ
とりあえず「ジュンジ」とはここで一旦別れ
ボクはローマ観光に
そこで出会ったIさんが何と醤油くれた
卵にかけて食べた醤油の美味い事!!
長期旅行に醤油は必需品だ
向こうのお肉は厚切りだが
スライサーの目盛りが大きいわけでは無い
薄切りに使ったことが無いだけだ
厨房の中に入って
ボクが目盛りをセットして
肉をすき焼き用にスライスしてもらった
その時いた日本人たちですき焼きパーティーをしたのだ
現地を離れる時に日本食でパーティーもなんだが
出発までローマの遺跡巡りをした
何処へ行っても
ネコ、ねこ、猫
皆、ご飯をくれるスポンサーがいたのだろう
大きくて幸せそうな猫ばかりだった
その後日本で自分が野良猫に
ロックオンされるとは(二度も)思いもしなかったが
この出来事もその後の人生に大きな影響を及ぼすのだ
チケットの期限ギリギリまで
現地で遊んだ
国鉄の社員食堂を見つけて
利用していたので
食事にも苦労しなかった
出発当日
アテネの空港はストライキがあった
何時間待っても出発便の案内が出ないのだ
それもあちらこちらの空港でだから
もうぐちゃぐちゃだった
結局、帰りもカラチで一泊となった
ストで遅れたためカラチからの便は
ジャンボ機に4、5人の乗客しかいない状態で
日本まで飛んだ
もちろん4座席の手すりを上げて寝て帰った!
帰って何をしようか!
とりあえずローマで決めたことがあった
成田から大阪まで歩いて帰ろう!
さあ、また楽しいぞその思いと共に
飛行機は無事成田に到着
そして第一回目の東京➡大阪の冒険が始まるのだ
そして次の冒険は新聞にも載るのだが
つづく