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冬の花

冬至

冬至では1年で太陽が顔を出す時間が最も短い日である

12月22日頃この時期朝から穏やかでお天気がよい日の事は「冬晴れ」「冬日和」「冬うらら」というらしい。だから「今日は小春日和だね」などと言うと「分かってないなこの人」と冷ややかな視線をお見舞いされるのである!

ニホンスイセンは花が白く中の軸が黄色いスイセンだが。花の少ないこの時期に可憐な花で人々を楽しませてくれる代表選手である。元々は地中海原産だがシルクロードを通りはるばる日本にやってきたのである

この時期は植物の活動も極めて少なく広葉樹などはほぼ熊のようにとうみんちゅうである。常緑樹はそれより原始的なため効率悪く少し活動しているのだ

とは言えほとんど植物は厳しい寒さと日照不足を乗り切るため活動を抑制しているので人間が構う事はあまりない

したがって今日は別の野外活動の話である

現在、太陽系では惑星直列という現象が起きている。21日がピークなのだが、太陽系の惑星が串団子のように直列するのわけでは無く、95度くらいの範囲に集まってくる現象で星空を見上げると普段一緒に見る事のない惑星たちが一堂に会しているのだ。また冬の空気は冴えているので普段以上に明るく大きく見える惑星もあるので、とても見ごたえのある空となっている。少し早起きして月のように輝く金星とその他の惑星を見てみよう!くれぐれも暖かくして外に行くように!

いよいよ師走

大雪

大雪の頃になるとビワの

オフホワイトで少しずんぐりとした花が、もこもこと咲き始める

毎年のようにビワの花ってこの時期だっけと?何故か不思議に思ってしまう

花の少ないこの季節にさくためだろうか?花の存在に違和感を感じてしまう

夏前には実の中に大きな種を抱えている

植えて観葉植物のように鉢植えにして楽しんだり盆栽にもなるのだ

ゴワゴワとした葉っぱが独特の存在感だ

ほかにもアボガド、アケビ、ミカンなど

スーパーに売っているフルーツの種でも簡単に芽が出て

育てることが出来る

家ではもうじき20歳のグレープフルーツ

(フランス人がカリフォルニアで有機で育てたグレープフルーツだ)

やプルーン、アケビが元気に育っている

途中で落としてしまって枯れてしまったがポポーなども目が出るには出た

来年、暖かくなったら再びアボガドの鉢植えに挑戦してみようか?

(寒さ対策を怠ったため死んでしまった)

今日は小雪です

小雪になると野外での作業はどうなる

勤労感謝の日の前日が小雪、例年の気温ならば北の方では雪が降り始め、北海道では根雪になるらしい。関西でも最低気温が10度を切り始めるのがこの頃

我々野外での仕事着は防寒の下着が必須!お弁当のご飯も冷たくのどを通りづらいため食欲も落ちてくるのだ。野外での仕事は辛い時も多くなり始めるがまだ日差しがあればしのげるというのがこの時期

境界線

人間の苦労をよそに木々は着実に冬支度を進める。紅葉の美しさは最低気温が決め手、一気に最低気温が下がり木々の葉はドキッとするくらいに。箕面の山々ではまるで炎の様な紅葉に目を奪われるようになります勤労感謝の日(祝日)は多くの見物客でラッシュの電車並みの賑わいついでに道も混むので仕事の時は本当にうんざりするのである。

各家庭に植えた柿の実も熟して落下してくるようになるが、採らずに置いておくと大体ヒヨドリ、スズメ、ムクドリがやって来てたいらげてしまう。民家の庭先ならそれでいいのだが、これが里山の民家となると事情が違ってくるのだ。里山は動物たちの世界との境界になるため、このように動物たちが食べるに任せていると、そこが餌場となってしまう。昨今イノシシによる農産物の食害が取りざたされているが、もし熊など人間にとってもっと危険な動物がやって来てしまったら、どうなるか?人間と自然が調和するためには確かな境界線が必要なのである、お互いを守るために!

今年もノラガーデンの畑にはイノシシがやって来ており、フェンスの周りを掘り返し必死で侵入経路を探していたようである、正直気が気ではなかったが、無事にサツマイモ、里芋と収穫できほっとしている。

もしイノシシ達に通貨制度があればこんな風に人の畑で盗み食いなんてしなくてもいいのだろう。人間は素晴らしいシステムがあって幸せだ

ポルトガルの風景

列車から見た衝撃の光景

列車から見たポルトガルの光景はボクには

映画「ウエスタン」の世界だった

ヨーロッパと一言で言ってもやはり広いなと思った

民族性も気候風土も全く違う

こんな土地があるからセルジオ・レオーネ監督も

ウエスタンの様な映画が撮れたのだろう

余談だがフランスでもつい100年ほど前までは

パリから30㎞も離れると言葉が通じなかったとか

日本でも明治の初め頃は皆、出身地の言葉で喋っていたので

会話が成立しなかったため標準語が制定されたらしい

という事は日本の方が少し進んでいたという事だな

 

列車は田舎町の駅に止まっていた

駅の売店をふと見ると

駅の売店なのにサラミが大量にぶら下がっていた

あれをナイフで切りながら食べるのだろう

それにしてもあんなにたくさん売れるのだろうか?

心配になるほどの数が店先に吊り下げられている光景を今でも思いだす

そして笑ってしまうのだった。

ポルトガルまで来るとヨーロッパという感じが少し薄らいでくる。

 

ロカ岬

とても美味しかったが料理の名前は忘れてしまった

串に刺した肉を焼いたもので

知り合った日本人の人にご馳走になった

ロカ岬に行って

「ユーラシア大陸の東の島から西の端までやってきたぞ~」

と納得していたのだ

海を隔ててあっちはもうアフリカなのだが

以外に涼しかった記憶がある。

 

岬で(病気だったのだろう)犬がよだれを垂らしながら(狂犬病か?)ヨロヨロと

歩いていたのが印象に残っている。

あんまり強烈だったのか今でもテレビでロカ岬を見るとこの話をしてしまう。

大陸の東から西なんてこの犬には全く知らない世界の話

同じ場所と時間に存在しながら

種が違うとこんなもんなんだな

これなら地球人と地球外生命体の方がまだ近い存在だな

 

以外に観光をしていなかったポルトガルだが

印象度で語れば結構その存在感はすごかった

 

再びフランスへ

あまり大したことをしなかったポルトガルを後に

再びフランス、リヨンに戻った

ここでフランスを出るときから一緒に行動していた

Mさんとはお別れしたのだった

 

つづく

 

 

ポルトガルへの道すがら

特別、見たかったガウディーを満喫した後

スペインを後に一路ポルトガル行きの列車に乗った僕たちを

向かい受けた(というよりは僕らが乗っている8人用コンパーチメント

に彼女たちがやってきた)旅回りをしているダンサーチームのメンバーたち

60歳くらいの人ママ(リーダー)を筆頭に50代、30代(一番若い子は

10代だろうとても魅力的で可愛らしかった。)総勢6人の女性が僕たちの

旅の道ずれとなったのだ。

 

最初は少し緊張したがこちらから挨拶すると、とても人懐っこい彼女たちは

すぐに打ち解けて(?)楽しいパーティーとなった。

似顔絵を描いてあげたりボクのウォークマンを聞かせてあげたり

あんまり楽しそうだったので国境警備のポリス2人もいつの間にか加わり

列車はポルトガルに向かっていったのだった

 

多分彼女たちは今でいうロマの人達だろう。当時はジプシーと言ったいたが

現在は差別的な表現という事でロマというらしい、(ジプシーキングスという

バンドもあるしなー、そう言えばローリングストーンズなんかも

同じ意味では?とちょっと思ったりもする)こうやって楽しく仕事品がら

各地でダンスを踊る生活もあるんだな。

 

ウォークマンと本

今はスマホとかタブレットなど持ち歩ける娯楽が沢山あるけれど

あの頃、普通の人の旅のお供は本かウォークマンぐらいだった

カセットテープ(若い人は見たことないというのも珍しくないだろうが)

にはサザンオールスターズを入れていた。だから今でも

サザンオールスターズの曲を聴くと、結構当時の事を思い出すのだ

今は当時の順路なども写真を見ながら思い出すのが精いっぱいなのに

音楽と記憶が結びつくとこんなに強固な思い出になるという事だな。

 

本は「竜馬がゆく」司馬遼太郎著の最終巻だけを持って行って

何度も何度も読み返していた。そしてある考えが頭をよぎったのだ

 

東京から大阪まで歩いたらどうだろう、

どんな感じがするんだろう

竜馬は京都、江戸を何度も往復している

当時はこれが普通だったのか。

やっぱり自分もこれをやってみよう!!

そう、ボクの中ではヨーロッパで冒険中に

すでに次の冒険プランが出来上がりつつあったのです。