西ドイツへ!(当時ドイツは西と東に分断されていました。ここでドイツと書いてあるのは当時西ドイツと呼ばれていた地域のことを指します。)ドイツ最初のユースホステルで会った日本人と話して分かったのはあと3日早くここへ来ていたら、日本人初のプロサッカー選手(一説にはさだまさし氏の実弟のほうが先だとする説もあるらしいですが)奥寺康彦さんに食事をご馳走してもらえたという事であった。正直ものすごく残念だった、一週間や10日ならまだしも3日なんて…。
気を取り直して。観光とスーパーの「チーズ、パン、ワイン」。何よりも釣銭をごまかされる事への警戒をしなくて良かった事が印象的だった、お客とお店という対等の立場での関係が心地よく、とても安心出来た。というのが当時のドイツの思い出だ。物価が高く外食なんてとても無理で毎日上記の3点セットを食べていた、若いからできたのだろう。それ以外ではマクドナルドでビールが飲めるのも驚いた。あとドトールコーヒーによく似たコーヒーショップも利用した。(後で知ったが、ドトールの社長はドイツで見たコーヒーショップをヒントに創業したという事だ)
そんな時に何人かの日本人と一緒に東ベルリンに行った。その後日本に帰ってからも何度かお世話になることとなった「本保さん」デザイナーをしてらして、当時はまだ広告の仕事を始めていなかったものだから’’あ~そんな仕事があるんだ~’’くらいの印象だった。Y峯さんご夫妻、O津さん合計4人で東ベルリンへあちらこちらを見て回ることもないので壁の近ではなくテレビ塔のそばのレストランでへ厚みが薄くあまり美味しくないステーキを食べた。
若い人はよく分からないかも知れないので少し説明を。当時ベルリンという町は東ドイツと言う国にあり、西ドイツに属する西ベルリンと、東ドイツに属する東ベルリンに分かれていました。西ベルリンをぐるりと囲む形でコンクリート壁が物理的に町を分断していたのです。文書にするとなんだかドラマチックですが壁の崩壊もしかりである日突然「今から即刻壁を開放し自由に往来出来る」という趣旨の発表がされるのです。
この大都市への観光ののち再び一人で行動するのだが、一週間たったころから精神に変調が現れ始めた。自分で気づいたのだが。若いころは一人でなんでも出来る、生きていけると思いがちだがが一週間ほど人としゃべらないだけで心は苦しみだしたのだ独りぼっちがこんなにも不安なものだとは、この旅をしなければ全く気付けなかっただろう。