さあ!モネを堪能したから列車に乗って出発だ!とばかりにパリからマルセイユについた。ここらへんで大きな変化に気づいたのだが、物価が全然違うのだ、ユースホステルに泊まることは無くなってきた。安宿に格上げしたのだ。(格上げ?参考までに当時の安宿は19世紀初頭の映画に出てくるような籠が2重になっていて扉を自分で開けるスタイルのエレベーターに口に含むのははばかられるような茶色い水が蛇口から出てきていた。)ただ安い飯がうまくなってきたのは間違いない。だからもしこの旅が逆回りだったらお金を大事に使うという事には目覚めず、マルセイユを越えたらあっと言う間に所持金を使い果たし帰国の途についていたであろうと今でも思っている。本当に偶然なのだがこのコースで旅する事が出来て本当によかったのだ。
一路バルセロナを目指し電車に乗っていたのだか徐々に電車も変化していった、綺麗で速いスピードの電車が汚くて(失礼な言い方だったらごめんなさい)スピードが遅くなっていった、場合によっては同じ列車にのっているのに遅くなって行くのだ!そして駅のキヨスクにはサラミがぶら下がり。サラミが悪いのではなくて駅の売店にぶら下がっているのを見たのはヨーロッパ来てから初めてだという事です。最後に乗った列車は窓ガラスも一部なく、自分で走った方が早いのではないか?と思えるようなスピードでバルセロナに到着した。なぜだ?
バルセロナでは昼になると町から人が消えていくのだ、オカルトではなくシエスタである。暑いので働くより休んでおこうという発想からはじまったのだろう、昼食後に昼寝をする習慣の箏をシエスタという。我々働き者の日本人から見ると衝撃である。僕も決して働き者ではないが明るい町から人が消えていなくなり、夕方になると「どこからこんなに!」と叫びたくなるような人込みになるのだ。そしてシエスタの時間帯は大きな物音などは立ててはいけないというルールもあるそうだ。
ところ変われば色々な風習があるものだが、列車のスピードやシエスタそれに駅の売店のサラミなどは、これまでの国境越えでは見られなかった大きな変化だと感じながら今回の旅の三つ目の目的を果たすべく、僕はバルセロナの町に繰り出すのだった。