ポルトガルの風景

列車から見た衝撃の光景

列車から見たポルトガルの光景はボクには

映画「ウエスタン」の世界だった

ヨーロッパと一言で言ってもやはり広いなと思った

民族性も気候風土も全く違う

こんな土地があるからセルジオ・レオーネ監督も

ウエスタンの様な映画が撮れたのだろう

余談だがフランスでもつい100年ほど前までは

パリから30㎞も離れると言葉が通じなかったとか

日本でも明治の初め頃は皆、出身地の言葉で喋っていたので

会話が成立しなかったため標準語が制定されたらしい

という事は日本の方が少し進んでいたという事だな

 

列車は田舎町の駅に止まっていた

駅の売店をふと見ると

駅の売店なのにサラミが大量にぶら下がっていた

あれをナイフで切りながら食べるのだろう

それにしてもあんなにたくさん売れるのだろうか?

心配になるほどの数が店先に吊り下げられている光景を今でも思いだす

そして笑ってしまうのだった。

ポルトガルまで来るとヨーロッパという感じが少し薄らいでくる。

 

ロカ岬

とても美味しかったが料理の名前は忘れてしまった

串に刺した肉を焼いたもので

知り合った日本人の人にご馳走になった

ロカ岬に行って

「ユーラシア大陸の東の島から西の端までやってきたぞ~」

と納得していたのだ

海を隔ててあっちはもうアフリカなのだが

以外に涼しかった記憶がある。

 

岬で(病気だったのだろう)犬がよだれを垂らしながら(狂犬病か?)ヨロヨロと

歩いていたのが印象に残っている。

あんまり強烈だったのか今でもテレビでロカ岬を見るとこの話をしてしまう。

大陸の東から西なんてこの犬には全く知らない世界の話

同じ場所と時間に存在しながら

種が違うとこんなもんなんだな

これなら地球人と地球外生命体の方がまだ近い存在だな

 

以外に観光をしていなかったポルトガルだが

印象度で語れば結構その存在感はすごかった

 

再びフランスへ

あまり大したことをしなかったポルトガルを後に

再びフランス、リヨンに戻った

ここでフランスを出るときから一緒に行動していた

Mさんとはお別れしたのだった

 

つづく

 

 

ポルトガルへの道すがら

特別、見たかったガウディーを満喫した後

スペインを後に一路ポルトガル行きの列車に乗った僕たちを

向かい受けた(というよりは僕らが乗っている8人用コンパーチメント

に彼女たちがやってきた)旅回りをしているダンサーチームのメンバーたち

60歳くらいの人ママ(リーダー)を筆頭に50代、30代(一番若い子は

10代だろうとても魅力的で可愛らしかった。)総勢6人の女性が僕たちの

旅の道ずれとなったのだ。

 

最初は少し緊張したがこちらから挨拶すると、とても人懐っこい彼女たちは

すぐに打ち解けて(?)楽しいパーティーとなった。

似顔絵を描いてあげたりボクのウォークマンを聞かせてあげたり

あんまり楽しそうだったので国境警備のポリス2人もいつの間にか加わり

列車はポルトガルに向かっていったのだった

 

多分彼女たちは今でいうロマの人達だろう。当時はジプシーと言ったいたが

現在は差別的な表現という事でロマというらしい、(ジプシーキングスという

バンドもあるしなー、そう言えばローリングストーンズなんかも

同じ意味では?とちょっと思ったりもする)こうやって楽しく仕事品がら

各地でダンスを踊る生活もあるんだな。

 

ウォークマンと本

今はスマホとかタブレットなど持ち歩ける娯楽が沢山あるけれど

あの頃、普通の人の旅のお供は本かウォークマンぐらいだった

カセットテープ(若い人は見たことないというのも珍しくないだろうが)

にはサザンオールスターズを入れていた。だから今でも

サザンオールスターズの曲を聴くと、結構当時の事を思い出すのだ

今は当時の順路なども写真を見ながら思い出すのが精いっぱいなのに

音楽と記憶が結びつくとこんなに強固な思い出になるという事だな。

 

本は「竜馬がゆく」司馬遼太郎著の最終巻だけを持って行って

何度も何度も読み返していた。そしてある考えが頭をよぎったのだ

 

東京から大阪まで歩いたらどうだろう、

どんな感じがするんだろう

竜馬は京都、江戸を何度も往復している

当時はこれが普通だったのか。

やっぱり自分もこれをやってみよう!!

そう、ボクの中ではヨーロッパで冒険中に

すでに次の冒険プランが出来上がりつつあったのです。

一難去ってまた一難

今年の夏は良く乗り切ったなと自分でも感心します。

一番暑い時に日陰のない場所での仕事でした、

空調服を来年は購入しようかな?と考えていますが。

 

そして、そろそろ秋の気配が漂いだしたらこの台風

これまでの経験値では対応できない様な事態でした。

そして昨日の地震、こちら関西の交通機関や電気もまだ完全ではないのに

対処されている方、本当に感謝いたします。

我々、植木屋も微力ながら復旧に走っています。

末文で恐縮ですが、被災された方の一日も早い回復を心よりお祈り申し上げます。

バルセロナ~ガウディーによせて~

そしてこの旅の目的の三つめガウディーの作品を見るためバルセロナにやってきた!なぜガウディーに興味を持ったか?サントリのテレビCMだ1982年の放送らしいが興味のある方はこちらでどうぞ

30年以上前のCMなのだがこうしてインターネットが出来たおかげで今でも見る事が出来る、当時は全く想像もつかないことだった。だからあと30年も生きたら一体世の中どんなに素晴らしくなっているのだろうとおもってしまう。そういえば!第二名神の工事も地上から見ているとすごっくて天空を橋とトンネルで駆け抜ける道路という感じで、しかも端の部分だけがニョキニョキと両サイドからのびてつながっていく!ボクが土木業に関わりだした頃には想像もできない様子だ。少し話が横道にそれたが、人生の旅こそ本当にミラクルの連続なんだな!最近つくづく思う。

ガウディーの作品や生涯についての説明は他の人に任せて、ボクは今、造園業をやっている人間の視点を交えながら少し紹介してみたい。

彼の作品で目を引くのはトカゲなど美しくない事はないが嫌いな人も多い動物をモチーフとして使っていること、それに日本では見たこともないようなモザイク、サグラダファミリアの正面マリア像が抱く幼子キリストは(本当かどうかは知りませんが)実物からかたどったという説もある。こういったものがなぜか安心感を与えてくれたのだ。そして製作期間も当時はあと数百年かかるなどと言われていたのだが、それでも作り続けるその価値観にも驚いた。基礎を築き一歩ずつ未来へ託していく、目先の価値観では図ることの出来ないものを造っているといったら良いのかな、だからこそバルセロナのランドマークにもなり民族のアイデンティティーになっていってるのかもしれない。日本にもそういう特別な公園はあるがやはりそういう建造物は歴史的な価値をもっているものだ。

一緒にバルセロナ観光をした人と最後に話していたのだが「サグラダファミリアは母親の子宮の様な感じがする」と当時のボクでも特別な場所で未来の歴史を生み出しているように感じたのだろう。